Letter to Bruce Gillespie (September 1, 1973)

aka “The Nixon Crowd”
試訳です。誤訳・拙訳ご容赦。

親愛なるブルース*1

 前回書いて以来、(ドイツのヒトラーと同じように)合法的に権力を握ったプロの組織的犯罪者による横暴な一団の重大さが、アメリカ国民にますます明らかになってきている。私たちアメリカ人は今、まさに1930年代のドイツ国民が直面した状況にさらされている。私たちは「共産主義から我々を救う」ために犯罪的な政府を選び、その政府から抜け出せなくなっているのだ。合法、非合法を問わず、その政府を打倒しようとする者を破壊する力を持っている。ほとんど終わりのない犯罪のリストに専心している政府があり、それが捕まっても白状せず辞任しないことが分かったら、その政府を打倒するためにあなたがどんな犯罪を犯しても、それは法的な意味での犯罪であって、道徳的な意味での犯罪ではないと、私自身感じている。ニクソンの権限で、私たちは(とにかく私たちにとっても)ひそかに中立国を爆撃している*2のだ。これだけでも、特に議会と国民のために文書がでっちあげられた以上、行政府は最高レベルの重罪を負う。これらを許可する法律も法的権限もなく、これらの爆撃によって被害を受けたカンボジアの死傷者はすべて、ニューヨークの通りで撃たれた米国市民と同様に犯罪行為の犠牲者である。彼らの命は私たちの命よりも価値がないのだろうか? 米国の都市の路上で罪のない人を撃った男を逮捕したとき、法規のもとで私たちが行うことは、その男を裁判にかけ、おそらくは刑務所に送ることである。私の見るところ、ニクソン一派が行ったすべての犯罪の中で、この中立国への連年のひそかな爆撃は最悪である。

 このことは、それを知らなかったアメリカ市民の適切な道徳的反応と態度の問題を提起する。第二次世界大戦後、絶滅収容所の存在を知ったドイツ人のように。ほとんどの場合本当に初めて知ったのだ。考えてみよう、もしも、彼、つまり平均的なドイツ人が、ヒトラーとその一派がまだ政権に就いていたときにこのことを知ったのだとしたら? 彼、この市民は、総統にどのような忠誠を誓ったのだろうか? もちろん、すぐに思いつくのは、彼は何か効果的なことができるのだろうか、ということだ。新聞に手紙を書く? 友人に話す? 弁護士を雇って、ヒトラーを起訴するように指示する? では、われわれアメリカ人にできることは何だろう? 個人的に? 確かに、現実的な問題としては、「何もできない」という答えが導き出される。しかし道徳的には、これは別の問題である。この2つは分けて考えなければならない。人生において、この2つの問題が対立することはよくある。ある人は言う。「道徳的に『こうすべきだ』『こうすべきでない』と思っているのに、それをやらされる、あるいは格言にあるように『やらせはしないが、やればよかった思わせることはできる』」このような状況下では、普通の人は、当然、降伏してしまう。とはいうものの、「みんなでやればむしろ良くなる、と思って行動すべき」という根本的な哲学の格言がある。これは、「自分の首を絞めるようなまねをするな」とか、「そんなことをしても何も得られないし、大変なことになる」というような、他のあらゆる金言に優先するものだと信じている。

 ヒトラーに関してそうであったように、ニクソン政権が合法的に権力を握ったとしてもそれは重要ではないという事実を、私たちアメリカ人は今直視しなければならないと思う。この国を動かしているのは犯罪者集団であり、殺人にいたるまで信じられない数の違法行為を行っていることを直視しなければならない。そうである以上、法を遵守するうえで我々には何の借りもない。全くないのだ。このような組織暴力的政府が存在することが分かったら、(1)すべての支持を撤回し、(2)できる限りの方法でそれと戦わなければならない。これは単に投票を拒否するということを意味しない。この犯罪者集団の猶予はあと3年半ほどあり*3、王朝を作ることに何ら障害はない。彼らは単に、次の暴君として自分たちの一人を送り込むだけだ。私が提唱するのは、彼らを引きずり降ろすためのあらゆる手段である。彼らは私たちのリーダーではなく、私たちを苦しめる者であり、現在も、そしてしばらくは、私たちから血を流し、私たちから搾取し、私たちを利用し、私たちを抑圧し続けている。彼らの偉大な国家政治秘密警察は、おそらく我々の想像を超えるほど強力で、彼ら自身が認めているように、この国のあらゆる反戦団体に潜入し、おだて上げてあからさまな違法行為を行わせているのである。彼らは、反戦左翼、つまり野党をそそのかして法律を破らせ、その結果、左翼のメンバーを逮捕し、左翼を壊滅させることができた。私の理解では、反戦運動家に対して裁判で有罪判決を受けた者はまだ一人もいない。なぜならこの潜入捜査官が単なる警察の情報提供者ではなく、実際には扇動工作員であることが、何度も証言されたからである(報酬も高く、おおくは週1000ドル支払われた。このような活動は、少なくとも名誉のかけらもない人々にとっては魅力的な職業であろう)。友人を装ったアメリカ政府の秘密捜査官から法を犯すようにそそのかされ、納得して法を犯すと、彼はもはや髭とジーンズではなくネクタイとスーツ姿で現れ、法廷であなたに不利な証言をするのだ。こうすることによって国家を、恐怖の敵意に満ちたパラノイア的なキャンプに変えてしまう。なぜなら、あなたが愛している女の子、あなたが信頼している友人、そのうちの誰かが、何人かが、もしかしたらあなたの知っている全員が、あなたを監視するだけでなく、あなたが法律を破るように仕向けるためにお金をもらっているのだから。これによって、人々を結びつけるきずなが溶けてしまう。そしてこの事実は、政府の政策にも好都合だと思う。反政府団体の解消を促進し、全体主義国家の樹立を早めることになるのだ。それがヒトラーと同様、最終目標である。

 さて、「SFコメンタリー」に掲載された私のバンクーバーでのスピーチ*4を読んでみると、少なくとも一つの主張において私が正しかったことがわかる。1984年*5型の専制政治がここにある。それに対抗するには子供たちが最善の策であるという私の考えは間違っているかもしれない(ケント州立大学で何が起こったか*6見てみよう、銃に対して花で対抗し、銃が勝ったのだ)。しかしオリジナルのスピーチの一部を変えて、こう言おう。私たち全員が、ここアメリカで、年齢に関係なく、私が述べた子供たちの視点、行動を取り入れよう。私はスピーチの中で、トラックからコカ・コーラを何ケースも盗み、友達と一緒に飲み干した後、空瓶を持ち帰り保証金と交換した、ある明るい目の少女の話をした。「SFコメンタリー」には、私がこの少女の行為を賞賛したことを批判する手紙が何通も届いた。しかし、それでもなお私は彼女を賞賛し、文字通りの意味ではなく、政府を乗っ取っている暴力組織とはまともなビジネスをしないという意味で、皆でこれをやろうじゃないか、と言いたい。私は具体的な行動を思い浮かべることはない。しかし、私があの少女に、そして彼女が夢中になった奇妙な窃盗に、なぜ抜群の価値を見出したのか、その理由は私の心の中にあるのかもしれない。私の反戦的な考え方、表現、活動のために、当局は私を排除しようと判断したのだろう、私の違法行為を捕まえようとして長い間(そしておそらくかなり費用のかかる)時間をかけた後、ついに、私の親友と知っていたこの少女のところに行き、私に対する偽の証言をするように頼んだのだ。警察は、私の家に泥棒が入ったことをここぞとばかりに結び付け、彼らの要求に応じなければ起訴すると、彼女にしめした。「いいえ」と彼女は答えた。「フィルがしていないことを、やったなんて言いません」警部は言った。「それなら刑務所に行くがいい」少女は考えた末にもう一度言った。「いいえ、言いません、真実です」そして、後で知ったことだが、彼女は何週間も罪状認否を恐れて待っていたのだ。私が言いたいことは明白である。その種の人に脅しはきかない。コカ・コーラの木箱を盗むことが悪いことだと納得させることはできないし、自分を守るために友人に対して偽の証言をすることが正しいことだと納得させることはできない。彼女は内面で判断する、内発的な人間なのだ。それだけのことだ。たとえ、その結果が彼女にとってかなり深刻なものであったとしても。そして、彼女はこのことを自分からはまったく話さず、私は英雄的ともいえる彼女のこの行為を、数ヵ月後に偶然に知ることになった。

 そう、子供たちが専制政治を覆すことはできない。しかし、専制政治は存在し、私たちの想像をはるかに超える恐ろしいものである。しかし、私は、合法であれ非合法であれ、実行可能と思われるあらゆる方法で、その専制政治を妨害しようと言っているのだ。私たちはニクソンの専制政治に何の借りもない。彼らは犯罪者と認められている。私は革命の青写真を描こうとはしていない。しかし、これはキーワードであり、裁判所がこのろくでなしどもを追い出さない限り、それはあり得ないことだ。私たちは反乱を起こさなければならないかもしれない。彼らが政府に残り続けるのであれば、そうすべきだろう。これは個人的な意味では現実的ではないかもしれない。彼らは私たちをなぎ倒すだろう。しかし思うに、アメリカ人である「私たち」だけでなく、同じく「私たち」であるアジアの人々も、今、なぎ倒されている。B-52が中立国の病院や村に落とした爆弾を私のお金で買ったなんて思いたくもない。私にも罪があるのだろうか? 爆弾を落としたパイロットと同じように。結局のところ、彼は「命令に従っただけ」なのだ。私たちはどう違うのだろう? 私はそれを買い、彼はそれを落とした。そして人々が死んだ。私たちを傷つけることを決してしない人たちが。

親愛の情を込めて

フィリップ・K・ディック